意思決定分析と予測の活用:第1部
2021年2月25日発売の書籍「意思決定分析と予測の活用 基礎理論からPython実装まで」の第1部を、全文公開します。
本書の略称は「決定分析本」です。
本書の内容を含む、決定分析について、管理人Twitterでハッシュタグ「#決定分析」をつけてつぶやくので、こちらも参考にして下さい。
意思決定分析と予測の活用 基礎理論からPython実装まで 2021年2月25日より順次発売予定。 |
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第1部「序論」の詳細目次
- 意思決定における予測の活用
- 意思決定
- 意思決定の結果と選好関係
- 意思決定と不確実性
- 不確実性との付き合い方
- 予測
- 予測を意思決定に活用する
- 予測の評価
- 情報の価値
- 本書の解説の流れ
- 本書で扱う問題と扱わない問題
- 決定分析の役割
- 意思決定理論の役割
- 意思決定のモデル
- 意思決定のアプローチ
- 「合理性」の定義
- 決定分析の役割
1.意思決定における予測の活用
テーマ
本書では「意思決定における予測の活用」というテーマに取り組みます。本章では,重要なキーワードである「意思決定」と「予測」という用語を紹介します。これらの用語はいろいろな場面で使われており,複数の意味で使われることもあります。まずは本書で想定している用語の意味を整理します。また,不確実性がある中での意思決定の考え方や,本書で想定する「意思決定における予測の活用」のシチュエーションを明確にします。
概要
●意思決定の基本
意思決定 → 意思決定の結果と選好関係 → 意思決定と不確実性 → 不確実性との付き合い方
●予測を意思決定に活用する
予測 → 予測を意思決定に活用する → 予測の評価 → 情報の価値
●本書のテーマ
本書の解説の流れ → 本書で扱う問題と扱わない問題
意思決定
本書では竹村(1996)における「一群の選択肢の中から,ある選択肢を採択すること」という操作的な意味として,意思決定という言葉を定義します。意思決定する人を意思決定者と呼びます。
例えば,今日のお昼に食べるメニューを決める,という意思決定を行うとします。このとき,まずはとりうる選択肢を列挙します。選択肢のことは代替案とも呼びます。例えば昼食を食べるお店を決めるとき,下記の選択肢があったとします。
- ラーメン屋に行く
- 牛丼屋に行く
この「2つの選択肢の中から1つを選びとる」というのが「昼食を食べるお店を決める,という意思決定」です。
例えば,今から家を出て会社や学校へ向かうとします。傘を持っていくかどうかという意思決定を行います。このときの意思決定は以下の選択肢の中から1つを選びとることです。
- 傘を持っていく
- 傘を持っていかない
例えば,小売店の店長が,明日の朝に届くアイスクリームの発注量を決めたいと思っていたとします。アイスクリームは1ケース単位で購入でき,お店の冷凍庫には最大で3ケースまで保存できるとします。このときの意思決定は以下の選択肢の中から1つを選びとることです。
- アイスクリームを0ケース発注する
- アイスクリームを1ケース発注する
- アイスクリームを2ケース発注する
- アイスクリームを3ケース発注する
意思決定の結果と選好関係
選択肢を列挙した後は,その中から1つを選びとります。本節では,選びとる方法を解説します。
ある選択肢を採択すると,何らかの結果が得られます。昼食を決める例で言うと,「ラーメン屋に行く」という選択をすると「ラーメンを食べる」という結果になります。「牛丼屋に行く」という選択をすると「牛丼を食べる」という結果になります。
ここで,得られた結果の好みを評価します。好みを表す関係を選好関係と呼びます。「ラーメンを食べる」という結果と「牛丼を食べる」という結果を比較して,「ラーメンを食べる方が,より好ましい」となれば,「ラーメン屋に行く」という選択肢を採択します。
意思決定と不確実性
選択肢を列挙する。そして選択肢を採択したときの結果を比較する。最も好ましい結果が得られる選択肢を採択する。この意思決定の手続きは一見するとシンプルではありますが,状況が複雑化すると簡単にはいきません。状況の複雑化には,いくつかのパターンがありますが,本書ではリスクや不確実性の取り扱いを中心に検討します。
ここで重要な用語を紹介します。それが自然の状態です。自然の状態は,将来起こるかもしれないイベントのことです。例えば「雨が降る」や「アイスクリームが1日で2ケース分売れる」や「景気が悪くなる」など,さまざまな自然の状態が想定できます。自然という言葉がついていますが,地球環境とは限らないことに注意してください。私たちが制御できないものを自然の状態と呼びます。私たちが変更できるのが選択肢,できないのが自然の状態です。この分類は大切なので覚えておいてください。本書では,自然の状態にリスクや不確実性がある場合の意思決定の問題を中心に扱います。
例えば,傘を持っていくかどうかを決める意思決定の問題を考えます。「傘を持っていく」や「傘を持っていかない」を選んだときの結果は,その日の天気によって変化します。
雨が降っているときに「傘を持っていく」と濡れずに済みます。雨が降っているときに「傘を持っていかない」ならば,服や荷物が濡れてしまいます。雨が降っているときには「傘を持っていく」を選んだ結果の方が好ましくなるでしょう。一方で,晴れていた場合には「傘を持っていかない」を選んだ結果の方が好ましくなるはずです。
その日の天気という自然の状態によって,最終的な結果が変わる。しかし,どのような天気になるのかわからない。このようなシチュエーションを,リスク下の意思決定問題,あるいは不確実性下の意思決定問題と呼びます。なお,自然の状態が従う確率分布が与えられているときをリスク下と,確率分布が与えられていないときを不確実性下と呼びます。分野によっては用語の意味合いが変わることもあるので注意してください。
本書では第2部第1章と第3部第4章を除き,リスク下の意思決定問題を扱います。なお,本書ではリスクと不確実性の表記上の使い分けをほとんどしません。確率がわかっているリスク下であっても,やはり自然の状態が確実にわかるわけではないので,不確実という言葉をしばしば使います。
不確実性との付き合い方
今日の天気にあわせて,傘を持っていくか持っていかないかを決めたい,という意思決定を例に挙げて考えてみます。このとき,雨に濡れるのが嫌な人が,例えば以下のように行動を選んだとしましょう。
- 雨が降るとわかっている :傘を持っていく
- 晴れになるとわかっている:傘を持っていかない
- 天気がわからない :(念のため)傘を持っていく
天気がわからないときの行動は,人によって変わるかもしれませんね。雨に濡れるのがそれほど苦ではない人は,「天気がわからないときは,傘を持っていかない」という行動を選ぶかもしれません。それはどちらでも構わないです。
ここで重要なことは「将来何が起こるのかわからない」という状況は「行動を決められない」という状況とイコールではないということです。何が起こるかわからなくても,行動を決めることはできます。
もう1つ重要なことは「天気がわからない」ということは,私たちの行動を決める重要な事実だということです。「私にはわからないことがある,という事実」を認めることで,私たちの行動が変わることがあります。先の例では「晴れになるとわかっている」ときには傘を持たないという行動を選びます。一方で「天気がわからない」ときには傘を持っていきます。「晴れになるとわかっている」ときと「天気がわからない」ときで,行動が変わりました。
自然の状態が「わからない」というのは,頻繁に起こることです。決定分析には「わからない」ことを加味したうえでの意思決定の手続きがいくつか用意されているので,その中から自分に合うものを選んでみるのが1つの方法です。ただし「本当はわかっていないものを,わかっていると思い込む」ことのないように注意してください。
予測
本書において,意思決定とならぶ重要なキーワードが予測です。本書では,将来何が起こるのか推測することを,広く予測と呼ぶことにします。
経済予測や天気予報,地震予知など,世の中にはさまざまな予測があります。呼び方1つをとっても予測・予報・予知・予言などさまざまありますが,本書では基本的に「予測」という言葉を使います。「予報」という言葉は「予測」と同じ意味合いで,まれに使います。どちらかに統一すると違和感を覚えることもあるからです(例えば「天気予測」とはあまり呼ばない)。本書の中では「予報」という言葉も「予測」という言葉も,まったく同じ意味であることに注意してください。
予測は,さまざまな目的から作成されます。多くの場合は,予測の結果と未来に起こる実際の現象が対応していることが望まれます。例えば「明日の天気は晴れでしょう」と予測されたとき,翌日には「実際に天気が晴れでした」となっていてほしいですね。
一方で,外れることが望まれる予測もあります。例えば山澤(2011, p2)の例を引用すると「『現在の社会保障制度のままだと,20年後には財政が破綻してしまう』というタイプの予測」です。この予測には「社会保障制度を改善して,財政破綻が起こらないようにするべきだ」という主張が隠れています。この場合は,予測が外れて,財政が破綻しないで済む方がうれしいわけです。
同様に山澤(2011)から「目標としての予測」を紹介します。例えば,景気が悪くなっているにもかかわらず「GDPはこれから増加するはずだ」と政府が主張するタイプの予測です。この主張は,予測というよりかは政府の努力目標と呼ぶ方が自然でしょう。また,予測(予言)の自己成就という現象(小林他(1991)など)が起こることもあります。例えば「ある日に株価が暴落するだろう」と予測されたとします。この予測が仮に根拠のないものであったとしても,この予測を信じて株を売却する人が増加すると,株価が下落することになります。
本書では「予測の結果と未来に起こる実際の現象が対応していることが望まれる」という予測だけを対象とします。また,努力目標としての予測や,予測の自己成就には言及しません。
予測の運用においては,予測の対象の決め方も重要です。いつ,どこで,何が,どれだけ,という4つの観点を持っておくと予測の対象を絞り込みやすくなります。
例えば,水産資源の動向を漁況と呼ぶのですが,漁況の予測には以下の4つの観点があります(土井(1972))。
- 漁期:いつ獲れるのか
- 漁場:どこで獲れるのか
- 魚群の質:何が獲れるのか
- 魚群の量:どれだけ獲れるのか
また,漁期を予測する場合でも,漁期の開始時期の予測なのか,漁ができる期間の長さの予測なのかなど,さらに詳細な分類が考えられます。
本書ではしばしば単純化した事例を扱います。しかし,実際には「需要を予測する」や「ユーザーの行動を予測する」というあいまいな表現はなるべく避けた方が安全です。
予測を意思決定に活用する
自然の状態にリスクや不確実性がある状況で意思決定を行うときに,予測が活用できます。
天気予報で「今日は午後から雨が降る」と予測されていました。そのため,傘を持っていくことにしました。おかげで雨に濡れることはありませんでした。単純ではありますが,これは,予測を用いた意思決定の事例です。
ところで,天気の話をするときに,天気に本当に興味を持っているとは限りません。例えば「今日はいい天気ですね」という言葉は,天気について言及しているというよりかはむしろ,あいさつに近い意味合いがあります。同様に,天気予報を見て「なるほど今日は雨が降るのか」と納得しても,すぐに忘れてしまい,傘を持っていかないかもしれません。
例えば,常に分厚いスーツを着るしかない職場はしばしばあります。このような職場に勤めている人は「今日は暑い日になるでしょう」という予測が出ても,気温にあわせて服装を変えることができません。予測値が得られても,行動を変えることができないわけです。
せっかく予測値を手に入れたとしても,その予測値を使って行動を変えることがなければ,予測が無駄になってしまいます。
予測はそれ単体ではなく,意思決定とセットで扱うことをお勧めします。例えば,傘を1本も持っていなければ,「雨が降る」という予測を聞いても,行動を変化させる余地がありません。例えば,小売店で商品の販売個数を予測しても,商品の発注量を増減する余地がなければ,予測を活用して行動を変えることは難しいです。
傘を持っていくか否かを決めたい。そこで天気予報を活用する。商品の発注量を決めたい。そこで売上予測を活用する。このように,予測と意思決定はセットで取り扱います。逆に,予測の活用の方法がわからない状況では,そもそも予測値を計算する必要性がないこともあり得ます。
本書が対象とするシチュエーションを整理します。
- 行動を変える余地があり,その中からどの選択肢を採択するかを決めたい
- 同じ選択をしても,天気や需要量など,自然の状態によって,得られる結果が変わる
- 自然の状態にはリスクや不確実性があり,どのような状態になるのか,わからない
- 自然の状態に対する予測を活用して,意思決定を行う
予測の評価
予測値を得るとき,多くの場合は費用がかかります。予測値を購入したり,予測値を計算したりするのにかかる費用です。予測を使うことによって,その費用を上回る利益が得られるかどうかは,予測を活用するか否かを決める1つの判断材料となります。
予測を含めたさまざまな情報を評価することは,情報を活用した意思決定問題の重要な課題です。本書では,決定分析を活用した予測の価値評価という問題にも取り組みます。
情報の価値
本書では,さまざまなシチュエーションで情報の価値を評価します。情報にはもちろん予測も含まれます。価値という側面から情報を評価するわけです。では,情報の価値とは何でしょう。決定分析において,情報の価値は以下の流れで計算されます。
- 情報を使うことで,行動が変わる
- 行動が変わることで,結果が変わる
- 変わる前と変わった後の結果の差異が,情報の価値
本書では,決定分析の技術を用いて,情報がもたらす行動の変化,そして行動の変化がもたらす結果の変化の大きさを計算します。これにより,情報の価値を見積もります。
自然の状態にリスクや不確実性がある中での意思決定を想定するときにしばしば用いられるのが,「情報を使わなかったときと,情報を使ったときにおける期待値の差異」です(Taylor(2016),White(1966)など)。本書では主に期待金額の差異でもって,情報の価値を評価します。第2部と第3部では,さまざまなシチュエーションで期待金額を計算します。第4部では期待金額ではなく期待効用を用いる方法を紹介します。
情報の価値分析は,ビジネスではもちろんですが,多方面で活用できる技術です。例えばMäntyniemi et al.(2009)では,水産資源の情報を得ることが漁業活動にもたらす利益として情報の価値を評価しています。またCanessa et al.(2015)では生物の保護に活用される情報の価値に言及しています。ただしCanessa et al.(2015)で指摘されているように,情報の価値分析は,ポテンシャルはあるものの,分野によってはあまり使われていません。ぜひ本書で情報の価値の基本を学び,さまざまな分野で活用していただければと思います。
本書では,価値の議論に踏み込みます。しかし,抽象的・哲学的な内容はなるべくなくしました。すなわち,情報の価値を「情報を使うことがもたらす期待金額の差異」などと定義して,定量化された価値を対象とした議論をします。本来「価値」という言葉には,人それぞれの想いがあるでしょう。本書ではそういった「人の想い」にはほとんど言及していないことに注意してください。これは善悪の問題ではなく,単なるアプローチの違いです。
具体的な計算を通して,以下の点を理解していただきたいと思います。
- 行動を変化させない情報は,定義上,その価値が0となる
- 不正確な情報を活用して意思決定することで,逆に損をする(期待金額が減少する)ことがある
- 予測の的中率と予測の価値は,単純な比例関係にはない
また,情報の価値の議論を通して,不確実性がもたらす費用にも言及します。情報の価値が大きくなるのは,不確実性の費用が大きいときです。逆に言えば,不確実性の費用がほとんどないならば,情報はほとんど価値を生み出しません。情報はただそこに存在するだけで価値を生み出すわけではないということです。
第1部のこの文章を読んでいるだけではあまりピンとこないかもしれません。具体的な計算を通して理解を深めてください。
本書では期待金額に基づいて価値を評価します。しかし,金額換算が難しいこともあります。例えばGelman et al.(2013)では余命に基づいて情報の価値を議論しています。余命を金銭に変換するのは,技術的にも倫理的にも難しいかもしれません。この場合,期待金額ではなく期待余命の差異で情報の価値を評価します。金額以外の指標を使う場合は,意味付けが明確なものを選んでください。
本書の解説の流れ
次章では,本書が想定する「決定分析の役割」を述べます。ここまでが序論となります。
第2部では決定分析の基本を解説します。以下の内容を解説します。
- 決定分析の基本的な手続き
- Pythonの基礎
- 期待値の解釈
- 期待値に基づく意思決定の手続き
- 予測などの情報を使った意思決定の手続き
- 情報の量の概念
- 情報の価値の概念
- 不確実性の費用の概念
第2部において,本書を通じて登場する技法や用語を解説します。まずは第2部で決定分析の基礎固めをしてください。
情報の価値の前に,情報の量を解説しているのは,本書の大きな特徴です。情報の量は,金額など意思決定の結果に応じて変化する要素を加味していません。直接的には意思決定理論と関係が薄いと言えます。しかし,情報の量の理論を学ぶと,不確実性に対する理解が深まると思います。情報の量の解説を通して,私たちが普段何気なく使う「情報」という言葉について再考してほしいと思い,このテーマを加えました。第2部の最後では,情報の価値を導入し,その計算方法を解説します。価値という言葉をあいまいなまま使うのではなく,数式とPythonコードを併用して,自分自身の手でこれを計算していただければと思います。
第3部では,決定分析のやや応用的な内容を扱います。第4章と第5章は,難しいと感じたら,最初は飛ばしても大丈夫です。
第3部第1章では,一貫性・品質・価値という3つの観点から予測を評価するアプローチを解説します。
第3部第2章では,コスト/ロスモデルを解説します。コスト/ロス比のシチュエーションを想定して,予測が価値を生み出す条件について議論します。
第3部第3章では,果樹園の霜問題と呼ばれる事例を対象にします。第3部第2章までに学んだ技術を実際に課題解決に活かす方法を解説します。
第3部第4章では,今までと異なり,予測ではなく検査情報を対象とします。そのうえで,検査情報を用いた意思決定の手続きと,検査情報の価値評価の手続きを解説します。判断確率(主観確率)の利用方法やベイズ決定と呼ばれる意思決定の方法論についても解説します。
第3部第5章では,逐次決定問題と呼ばれる,意思決定を何度も繰り返す状況での決定の手続きを解説します。
第4部は,本書の中ではやや特異な扱いになります。決定分析の手続きやPython実装の解説はわずかで,ほとんどが理論の解説です。
第4部では効用理論の基礎を解説します。本書では基本的に,期待金額を最大にする意思決定原理を採用します。情報の価値も,期待金額の差異から計算します。しかし,期待金額を最大にすることは,唯一の意思決定原理ではありません。期待金額を最大にするべき根拠と,期待金額を最大にする意思決定原理の限界について理解していただくのが第4部です。
第4部第1章では,サンクトペテルブルクのパラドックスを紹介し,期待金額を最大にする意思決定原理の限界について解説します。そのうえで,選好とその効用関数表現を導入して,意思決定理論の数理的な基礎を解説します。
第4部第2章では,vNMの定理を通して,期待効用最大化原理について解説します。この中でリスク態度を扱います。リスク態度について学ぶと,期待金額を最大化するという意思決定原理の持つ制約が理解できるようになるはずです。
第5部では,意思決定がしやすくなる予測を提供する技術として,確率予測について解説します。
第5部第1章では,確率予測の基本事項を整理したうえで,予測の品質の評価指標と価値評価の手続きを解説します。
第5部第2章では,データから予測値を計算し,予測値の品質と価値の評価を行います。また確率予測から多くの価値を見出す工夫についても言及します。
本書で扱う問題と扱わない問題
本書が扱う意思決定の諸問題と,本書が扱わない問題を整理します。
本書は個人,あるいは同じ考えを持つ1つの組織での意思決定を対象とします。逆に,さまざまな考え方を持つ人たちの意見を集約して,グループとして行動を決める方法は対象としません。
本書は単一目的の意思決定問題を扱います。例えば得られる金額が最も大きくなる選択肢を選びたい,といった問題などを扱います。一方で,多目的の意思決定問題は扱いません。例えば飛行場の建設予定地を選ぶ際には,地価・交通の利便性・騒音の影響などさまざまな要素を考慮しながら決定を行うでしょう。こういった事例は対象としません。
本書はリスク下や不確実性下の意思決定問題を扱います。特に追加の情報(例えば予測)が得られる場合の意思決定の問題を中心に扱います。逆に,不確実性がない,すなわち確実性下の意思決定問題はほとんど扱いません。確実性下の意思決定問題では,最適化の方法が問題となることがしばしばあります。例えばいろいろな大きさ,さまざまな配送先の積み荷を移送するとき,効率の良い移送の仕方を考える問題などです。こういった最適化の問題はほとんど対象となりません。
本書では,起こり得る自然の状態と,とりうる選択肢,そして「ある自然の状態だったときに,ある行動をとったときの結果」がわかっていることを前提とします。ただし結果の査定に関してはしばしば実務上の課題となるため,これの推定方法については本文中で事例を挙げて解説します。
次章で述べるように,本書では意思決定理論を「意思決定の問題を整理して表現するための道具」として主に活用します。本書では,最適化のアルゴリズムよりもむしろ,意思決定の問題を整理したり表現したりする方法論を主に取り上げています。
2.決定分析の役割
テーマ
本章では,本書で想定する「決定分析の役割」を述べます。また,本書で想定する合理性という言葉の定義にも言及します。本書のスタンスは「エビデンスや予測に基づく意思決定が正しく,勘と経験と度胸で行う意思決定は間違いだ」という考え方とは異なります。この点はぜひ理解したうえで,本書をお読みください。
概要
●決定分析の役割
意思決定理論の役割 → 意思決定のモデル → 意思決定のアプローチ
→ 「合理性」の定義 → 決定分析の役割
意思決定理論の役割
決定分析,あるいはその基礎付けとなる意思決定理論は,「データ入力,一発回答」でとるべき行動を教えてくれるわけではありません。人間の主観を一切排除して決定を下すのは難しいという点に注意してください。
意思決定理論や決定分析について学ぶことの意義は何でしょうか。理論を学ばずに勘で意思決定するのと何が異なるのでしょうか。この問いに対してFischhoff and Kadvany(2015, p7)の「意思決定理論はリスクについての決定を表現するための“言語”といえる」という表現は的を射ていると思います(上記文献ではリスクという言葉を本書より広い意味で使っています。意思決定理論は不確実性がある中での意思決定の表現にも役立ちます)。
本書では,意思決定理論の「意思決定という問題を表現してくれるもの」という側面を強調します。意思決定問題を整理して表現することで,人間の意思決定をサポートする。この目的で本書では意思決定理論,そして具体的な手続きとして決定分析を解説します。
意思決定のモデル
本書では,モデルを用いたアプローチを採用します。モデルという言葉はプラモデルやファッションモデルなどで使われます。何かを単純化したもの,あるいは標準的なもの,理想化したもの,などの意味を持ちます。
本書で頻繁に登場するのは意思決定モデルです。意思決定の過程を正確に記述しようと思ったとき,本来は脳のはたらきを含めた無数のことがらがすべて対象となるでしょう。しかし,これを実際に行うのは困難です。そこでモデルを用います。意思決定という操作を単純化,理想化したモデルを対象として,意思決定に関する分析を行います。
第1部第1章で紹介した「選択肢を列挙して,その中から最も好ましいものを選ぶ」という意思決定の手続きは,まさにモデル化された意思決定の手続きだと言えます。この意思決定モデルでは,脳の中の電気信号の流れなどは省略されています。
モデルを明示的に用いることには,いくつかのメリットがあります。その中でも,本書では,議論の対象を明確にできるというメリットを強調します。モデルを用いることによって「人によって意思決定という言葉の解釈が異なる」という状況を防ぎやすくなります。
もちろん,現象を単純化しすぎて,現実とまったく違うモデルを作り上げてしまってはいけません。本書では,場当たり的に作られたモデルは基本的に登場しません。既存の文献を参照しながら,意思決定とそのモデルの解説をします。必要に応じて「提示されたモデルでは考慮できていないことがら」に関する注意を喚起することもあります。
意思決定のアプローチ
意思決定理論は大きく2つに分けて議論されることが多いです。
- 規範(normative)
- 記述(descriptive)
規範理論は,どのような意思決定が望ましいのかを考えます。このとき,いくつかの前提(公理)をおきます。そして,その前提が満たされるときにとるべき行動を議論します。記述理論は,どのような意思決定が実際に行われているのかを説明します。
規範理論と記述理論の知見などを参考にして意思決定を支援するアプローチを処方的(prescriptive)アプローチと呼びます。決定分析は処方的アプローチです。
「合理性」の定義
合理性,あるいは合理的であるという言葉は,さまざまな意味で用いられます。意思決定を扱った文献においても,相当の差異が見られます。少なくとも,本書で用いる合理性という言葉は,日常会話での合理性という言葉の使い方と大きく異なるはずです。注意してください。
本書で使う合理性という言葉と,効率性・倫理観・金銭的報酬(損失)・熱血か冷静かという当人の性格などは,直接的には関係がありません。熱い心で一切の金銭的報酬を受け取らずに慈善行為を続ける人を合理的とみなすこともあります。旧態依然の経営を続ける管理職の方でも,お金に頓着せずに毎日のんびり過ごしている方でも,合理的とみなすことは十分にあり得ます。
本書では「ある行動様式がある人にとって合理的であるとは,この人がたとえ自分の行動を分析されたとしてもその結果を心地よいものと感じ,困惑することがないような場合を言います」というGilboa(2013, p19)の(極めて主観的な)定義を採用します。
この定義では,非合理的な行動を「意思決定者に理論を説明することで変えられる行動」だとみなしていることに注意が必要です。逆に,ある行動が合理的である場合には,(強権的でない)説明や説得によって行動を変えることができないと考えます。説得が受け入れられないとき,聞き手を非合理的な愚か者だとみなすのではなく,「当人にとっては」合理的なのだと考えます。合理的か否かは主観的なものであり「当人にとって」筋が通っているかどうかが重要であるわけです。
本書では,規範的な意思決定理論の知見に基づく処方的アプローチを採用します。しかし,規範的な意思決定にそぐわない行動をあえてとったうえで,その決定に心から納得できる人の存在を排除することはできません。その行動は,先の定義においては合理的であるとみなされます。「○○の行動をとるべきだ。このように行動しない者は非合理的だ」という
とはいえ,Gilboa(2013)のような意思決定理論の教科書において,先の定義が採用されているのは事実です。意思決定理論という分野について,少しお堅いイメージを持っている方は,このような柔軟な解釈があることを心にとめておいてください。
決定分析の役割
決定分析から得られた処方に従わなくても合理的であり得るならば,決定分析を行う必要性はどこにあるのでしょうか。
決定分析の大きな役割は,数量化を伴う,意思決定問題の整理・表現だと著者は考えます。不確実性の度合いや,得られる結果の好ましさなどを(人間の主観が入ってくることは認めたうえで)数値で表現します。そうした作業を通して意思決定をサポートします。
決定分析を行ったところで,今まで想像もしていなかった斬新な方策が見出されることはあまりありません。むしろ当たり前の結果が得られることが多いでしょう。自分たちの好みや知識に基づいて,その内容を整理して行動の決定に活用するわけですから,当然とも言えます。ただし,自分自身,あるいは同じ組織に属する他の人たちを納得させることに役立つはずです。
決定分析を行うにあたってしばしば言及されるのが決定の一貫性です。平たく言えば,「自分がやりたいこと」と「実際にやっていること」が矛盾していない行動を,一貫性のある行動と呼びます。決定分析は一貫性のある意思決定をサポートする役割もあります。
数値を使うことの良い点は,意思決定の過程が明確になることです。例えば「1%の確率で100万円もらえる賭けに,1万円を支払って参加する」という行動を選んだとします。この行動が正しいか誤りか,ということはわかりません。人によって評価はわかれるでしょう。ただし,リスクの大きさなどをちゃんと数値で表現することで「この人は,リスクをとって賭けに出たのだ」ということは,第三者から見てもわかります。意思決定にかかわる人たちの中で,コミュニケーションが円滑に行えるのが大きなメリットです。もちろん自分自身が自分の決定に納得できるかどうかを吟味する際にも役立つはずです。
また,意思決定の過程を明確にすることで「意思決定の過程を評価する」ことができます。例えば,お金がもらえる確率を,当時得られた情報を活用してより正確に見積もったら0.001%だったというのがわかれば,多くの人は賭けに参加しないはずです。この確率の見積もりを誤って賭けに参加したのならば,「賭けに参加したという選択は,良くない選択だったのではないか」と疑問を投げかけることができます。意思決定の結果(お金がもらえたか否か)ではなく,意思決定の過程に光が当たるのは,決定分析の大きな特徴です。
意思決定にかかわる個別の数値に関しては,感度分析と呼ばれる方法を使って評価することがしばしばあります。感度分析は「モデルの前提となった数値の変化が,意思決定の結果にどれほど影響を与えるか」を調べる手法です。
一口に決定分析と言っても,この技術が使われるシチュエーションはさまざまです。第2部から具体的な事例を対象として,決定分析の基本事項を解説します。
書籍「意思決定分析と予測の活用」について
書籍「意思決定分析と予測の活用 基礎理論からPython実装まで」の第2部以降では、決定分析の手続きを、豊富な数値例とPythonによる実装コードを併用して解説します。決定分析に興味を持った方は、書籍もご覧いただければ幸いです。
意思決定分析と予測の活用 基礎理論からPython実装まで 2021年2月25日より順次発売予定。 |
更新履歴
2021年02月13日:新規作成